マネージャーへの進化に懸けるマネージャーへの進化に懸ける

日笠 雄貴

Yuki Hikasa
2014年度入社 法学部卒三菱地所アジア社出向
  • 子どもの時の経験が
    より良い「住宅」を提供したいという思いに

    就職活動では、「人々の生活を支える仕事に就きたい」と漠然と考えていました。条件にあった仕事は世の中にたくさんあると思いますが、私にとっては「住宅」でした。

    私が小学生の頃、暮らしていたマンションに数多くの欠陥が見つかったため建替工事を行うことが決まり、引越しをせざるを得なくなりました。その結果、生活のリズムやスタイルの変更を余儀なくされ、同じマンションや近隣で形成されていたコミュニティが崩れ、友人関係等も大きく様変わりしてしまいました。こうした「住宅」の重要性を肌で感じた経験が影響して、より良い「住宅」を提供することで人々の生活を支えたいという思いが強くなり、住宅デベロッパーを志望するようになりました。

    当社を選んだ理由は、就職活動の過程において、単なる応募者としての対応ではなく、親身に就職や人生についての相談に乗っていただいたことが決め手でした。真摯な社員に触れ、この会社にはきっと働きやすい環境があるだろうと考えて、入社を決めました。

  • 苦労が喜びに変わる瞬間
  • 海外プロジェクトならではの難しさと、
    変わらぬ不動産業のやりがい

    私はシンガポールに赴任し、マレーシア・フィリピンでのジョイントベンチャー(現地パートナー企業との共同事業)による開発業務にあたっています。現在は住宅プロジェクトを3件、オフィスビルと物流施設のプロジェクトを各1件担当し、月に1~2度のペースでシンガポールから各国に出張して業務に取り組んでいます。

    プロジェクトにおいては、その国の特性を理解した上で当社が日本で積み重ねてきた知見を事業改善に活かしていくことが、重要なポイントの一つです。設計段階においてはお客様にとってより良い商品を提供できるように、販売段階においてはより多くの方にご検討・ご購入いただけるように、時には本社の技術系部門・商品企画チーム等とも協働して取り組みます。同じ不動産事業といえども国ごとに業界の慣習や文化が異なるため難しい作業ではありますが、提案内容がパートナーに評価された時、そして物件がより良いものになっていく時に大きな喜びを感じます。

  • 失敗を教訓として
  • 自分がプロジェクトの中心となって
    関わる人たちのバトンをつなぐ

    入社2年目(当時国内計画推進担当)に初めて一人でプロジェクトを任された時、私は一つの失敗をしてしまいました。プロジェクトを管理する者として、本来は社内外の関係者に対して一つひとつ説明して協力を仰ぎプロジェクトに巻き込んでいくことが求められていました。しかし、特に他部署の様子や業務内容を理解しきれていなかった当時の私は、専門の部署であれば「わかってもらえるだろう」との思いで、いわば業務を丸投げしてしまい、結果としてプロジェクトを混乱させてしまいました。

    この経験以来、関わる人の立場や考え方を自分なりに理解した上で的確にバトンを受け渡すこと、その上で効率的かつ十分に力を発揮していただくことの大切さを痛感しました。設計・施工・販売・アフターサービス・法務など、関わる専門家に熱意を持って働きかけ、その方々の仕事や住まいづくりに対する「思い」を引き出すこと。その姿勢が私の仕事に取り組むスタイルの根幹となっており、フィールドを海外に移した今でも、会社の垣根やそれぞれの国の慣習・文化を越えてプロジェクトを前に進めていくために強く意識しています。

休日の過ごし方

先輩の自宅で美味しい食事をいただきながら、「大親友」である小学生のお子さんとテレビゲームに熱中するというのが恒例のイベントです。また日本では遠ざかっていた運動を再開し、三菱地所アジア社のメンバーとランニングイベント等に参加したり、サッカーチームに参加して、日本、シンガポール、ネパール、タイ等、様々な国籍のチームとゲームを楽しんだりしています。国籍も年齢も職業もばらばらのサッカー好きが、灼熱のシンガポールで必死にボールを追いかける、幸せなひと時です。加えて最近は、産まれたばかりの息子との時間が心和む何よりの時間となっています。

各社員の所属部署・担当業務は、取材当時の内容です。
一生ものに、懸ける。
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